大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか epubダウンロード無料

大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか


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大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか の本の表紙
4.5 5つ星のうち(12人の読者)

大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのかの詳細

本のタイトル大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか
作者大竹晋
ISBN-104336062692
発売日2018/8/25
カテゴリ
ファイル名大乗非仏説をこえて-大乗仏教は何のためにあるのか.pdf
ファイルサイズ21.98 (現在のサーバー速度は26.33 Mbpsです

以下は、大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのかに関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
【破邪】と【顕正】本書序論。9,10ページ。上座部仏教団体の周辺の人々が、頼まれもしないのに歴史的ブッダの代理人のような顔をし、歴史的ブッダの権威を笠に着て大乗仏教の存在意義を否定することは「虎の威を借る狐」の趣がなくもないにせよ、それより気になるのは、上座部仏教団体周辺の人々から大乗仏教の存在意義を否定されても、諸宗に属する人々から大乗仏教の存在意義が明確に主張されないことである。【顕正】(大乗仏教の存在意義の主張)の前に【破邪】(小乗仏教の存在意義の否定)。「上座部仏教団体の周辺の人々」などと気を使うからなめられる、大乗非仏説がテーマなんだから言葉をねじれさせず【小乗】と言えば良い。漢字の大小はサイズが大きいか?小さいか?に過ぎない。小乗なら中乗、大乗に向上できるが、上座は上に居るから全宇宙に行く先がない、在家に寄生するための上座。インドのヒーナヤーナはともかく東アジアで【小乗】と呼ぶのは「大きくなれよ」と言う大乗のお慈悲です。大乗の正機はビクではありません、底下の凡夫です。本書第2章は「大乗仏教が仏説であることは論証できない」ですが小乗が外道であることなら簡単に【論証】できます。>歴史的ブッダの権威を笠に着て大乗仏教の存在意義を否定する者たち=【小乗】へ歴史的ブッダ自身からの百倍返し。【小乗外道論証】日本には何人もの仏教学者がいると思いますが、誰一人として本気で読もうとしない釈尊(歴史的ブッダ)の言葉があります。本書の著者も当然、読んでいるのでしょうが本書を著すに際して全く注目・活用していません。釈尊(=歴史的ブッダ)がビクサンガとの師弟関係を完全否定する場面です。中村元訳『ブッダ最後の旅』岩波文庫p.62.9章25.(他にも複数の現代語訳あり) xxxしかし向上につとめた人は『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。」パーリ原文『ディーガ・ニカーヤ』PTS版Vol.2.p.100によれば上記「修行僧のなかま」「修行僧のつどい」合計3箇所の原語はいずれも「ビク サンガ」(bhikkhu saMgha)です。ちなみに「向上につとめた人」というのは「タターガタ=如来」(中村元と言う人は原文の同じ言葉を複数の異なった日本語に訳し分ける、困ったビョーキ)。歴史的ブッダは何を言いたいのか?①「歴史的ブッダはビクサンガとの師弟関係を完全に否定した」。 必然的に②「ビクサンガは仏弟子ではない外道である」と言うことです。日本語が読めるかどうか?と言う問題です。①は『パーリ・ネハン経』(中村元『ブッダ最後の旅』岩波文庫、等)に書いてあることを読めば正しいとわかります。②は仏教では仏弟子・仏教徒ではない修行者を外道と呼ぶ、と言うことを辞書で確認すれば正しいとわかります。AさんであれBさんであれ誰であれ、個人であれ集団であれ、歴史的ブッダから師弟関係を否定されればその相手は否応なしに外道です。【ビクサンガは仏弟子ではない外道である】は歴史的ブッダ自身の自由意志による判断・決定です。「ビクサンガ」と言うボキャブラリーを選択したのは「歴史的ブッダ」自身です。後世なら「イッチャンティカ」と言う、成仏不可能・救済不可能な者=能力があっても「動機のない」者=「わたしに頼らない」者=「わたしを師と思わない」者を歴史的ブッダは「ビクサンガ」と呼んでいるのです。2500年前によりにもよって「歴史的ブッダ」自身によって引導が渡され死刑が執行されたようなものです。2500年前に小乗【仏教】は消滅してます。仏教を学ぶ人はこれを前提にして欲しい。著者を含めた優秀な仏教学者がこのくだりを無視する理由がわかりません。師弟関係に於いて師は救済者、弟子は被救済者。師は被信仰者、弟子は信仰者です。ビクサンガは「私に頼らない」中村元。「余を敬慕しない」岩本裕(原文はSktらしい)。=ビクサンガは「歴史的ブッダを信仰しない」=ビクサンガは「歴史的ブッダに救済を求めない」=ビクサンガは「他灯明・他帰依、仏灯明・仏帰依しない」=ビクサンガは「他洲、仏洲しない」と経典で直後に続く「自灯明・自帰依、法灯明・法帰依せよ」「自洲、法洲せよ」と言う矛盾した言葉を会通できた仏教学者は多分一人もいません。会通は簡単、片方を否定すればよい。それならどちらを否定する??歴史的ブッダは弟子に自灯明・自帰依、法灯明・法帰依。自洲、法洲を望んでいたのか?他灯明・他帰依、仏灯明・仏帰依。他洲、仏洲を望んでいたのか?歴史的ブッダは弟子に「自洲、法洲せよ」「他洲、仏洲するな」と説いたのか?「他洲、仏洲せよ」「自洲、法洲するな」と説いたのか?答えが後者であることは明らかです。以上歴史的ブッダ自身によって【小乗仏教の存在意義の否定】は2500年前に完了してます。小乗【外道】へ大乗【仏教】からのメッセージは一つだけ「恥を知れ!!」です。「上座部の僧侶たちが大乗仏教を別の宗教と見なしていた」本書6ページ。「大乗仏教は存在意義を求めずにはいられない」本書序論。そのとおり、大乗は【仏】教、小乗は【法】教=外道。当然、別の宗教。大乗は娑婆世界で唯一の【仏】教。それが大乗【仏】教の存在意義。「自洲、法洲」【自力】と「他洲、仏洲」【他力】では結果が違います。「自洲、法洲」【自力】の結果は【無生法忍】存在の真理を自力で悟る。他者、仏、仏教が要らない。外道の「タットトヴァムアシ」(真理は汝である)があれば良い。十方三世、いつでもどこでも自と法で無師独悟=無仏独悟できる、仏が不必要だから非仏教、法は必要だから法教。結果は「ウパニシャッドの哲人」独覚。鈴木大拙の言葉「悟った人は洋の東西を問わず、何千人もいる。仏教でなければ悟れない、禅でなければ悟れないなんてことは全くない」(記憶)。「他洲、仏洲」【他力】の結果は【般舟三昧】(現在仏現前三昧)他者である現在仏の現前。現在する他者、仏、仏教が必要。結果は仏・如来。もしも、ブッダ(お釈迦様)が2500年前からタイムスリップしてきて、奈良の大仏を見たらどう思うと思われますか?という質問に回答したことがあります。タイムスリップした釈尊が大仏を見たら「やった!!成功した!!我、勝てり!!」と思うでしょう。仏が世に出ても出なくても真理は存在する。T0099_.02.0085b24: xxx佛告比丘。縁起法者。非我所作。亦非餘人作。然彼如來出世及未出世。法界常住。SAT『雜阿含經』 (No. 0099 求那跋陀羅譯 ) in Vol. 02現実に歴史的に釈尊は2500年前のインドに「出て」成仏した。釈尊が出ても出なくても真理【法】は存在する、出なくても良いのか?出たほうが良いのか?出たほうが良い、なぜ出たほうが良いのか?出なければ外道=【法】教しかないこの娑婆世界に釈尊が出たから【仏】教が始まった。釈尊は真理【法】を創始していない「非我所作」↑。釈尊は何を創始したのか?【仏】「現在仏信仰」を創始した。釈尊は真理【法】を遺す必要はない。後世に何を遺そうとしたのか?【仏】「現在仏信仰」を遺そうとした。釈尊は「出世の本懐」=【仏】「現在仏信仰」を後世に遺すことに成功したか?失敗したか?釈尊には確認できない。現代人なら成功していることがわかる。なぜ現代人にわかる?浄土教や密教がある。東大寺に大仏がある。だからわかる。以上。ヤフー知恵袋。【法】か?【仏】か?仏教の「普遍論争」。宗教には普遍性と個性がある、仏教の普遍性は【法】普遍的、一般的真理、外道と共通(普遍性なんだから当然)。仏教の個性は【仏】現在する個仏、仏教だけ、仏教のみ(個性なんだから当然)。仏教が他の諸宗教=外道に対して不共、殊勝、未曾有なのは当然、個性。外道にも【法】はある【無生法忍】、に対し仏教だけに【仏】がいる【般舟三昧】、ということ。大乗経典、大乗【仏】教だからといって【仏】がいるとは限らない大乗【法】教もある。大乗【仏】教経典の代表は『華厳経』「一塵中有塵数刹、一一刹有難思仏」。大乗【法】教経典、【仏】を感じさせない経典の一つが『金剛般若経』読んでみればわかります、法教徒Aと法教徒Bの会話。禅も法教、仏が出てこない「無一物中、無尽蔵、花あり、月あり、楼台あり」但し【仏】なし。天台も法教「己身の弥陀、唯心の浄土」仏より心、多より一が優先する、個【仏】より普遍【法】が優先する。著者:大竹晋先生へのメッセージ。本の著者は自分の著書の「アマゾンレビュー」を読むものなのかどうなのか?クリックすれば簡単に読めるんだから読むことをお勧めします。このレビューを「本気で」読めば著者:大竹晋先生は「歴史的ブッダはその存命中にビクサンガとの師弟関係を完全に否定した。当時のビクサンガも現代のテーラワーダも歴史的ブッダの【金口の説法】を根拠に外道であり仏教ではない」という2500年間、誰一人として言及しなかったことに気づいた世界最初の仏教学者になれます。読者から指摘されるのはカッコ悪いなんて思うこと勿れ!!女性や子供にも道を問うた善財童子の初々しい菩提心を思い出せ!!がんばれ!!大竹晋先生!!大乗【仏】教期待の星!!追記。大竹先生の勉強の量にはびっくりします、金山穆韶まで読んでいるのには恐縮しました。そこで考えたのが本書77ー79ページの逢仏型大乗仏説論です。「南無大師遍照金剛」と称えれば弘法大師に逢える。「南無釈迦牟尼如来」と称えても釈迦牟尼如来には逢えない。弘法大師にはなぜ逢えるのか?弘法大師は【入定】している。現在仏、だから逢える。釈迦牟尼如来は【入滅】した。過去仏、だから逢えない。般舟三昧で釈迦牟尼如来に逢えれば大乗仏説を立証できるなら話は簡単。釈迦牟尼【如来】に釈迦牟尼【菩薩】になってもらえばよい。前世の菩薩時代に「捨身飼虎」までした釈迦牟尼如来が【入滅】=【涅槃への逃避】を選択して今生を最期に利他行の誓願を放棄するわけがない。成仏は利他行を放棄する理由にはならない。歴史的ブッダの生涯は如来より菩薩で説明するほうが合理的です。私は近年「釈尊は死んだ」と言うようにして【入滅】と言う語を意識的に避けています(【入定】と言いたいけれどさすがにそこまでは、、、)。弘法大師の誓願T0293_.10.0848a17: 乃至虚空世界盡衆生及業煩惱盡T0293_.10.0848a18: 如是一切無盡時我願究竟恒無盡『大方廣佛華嚴經』「普賢行願讃」(No. 0293 般若譯 ) in Vol. 10 大乗は無為法を否定し煩悩を肯定する「無為法中に仏法を生ぜず」「一切煩悩皆是仏種」。T0475_.14.0549b07:xxx如是見無爲法入正位者。終不復能生於佛法。煩惱泥中乃有衆生起佛法耳。T0475_.14.0549b12:xxx是故當知一切煩惱爲如來種。SAT『維摩詰所説經』 (No. 0475 鳩摩羅什譯 ) in Vol. 14「涅槃に趣くな」「正位に入るな」「実際を証するな」「真実諦に住するな」「見無爲法、入正位」するな。「煩惱泥中」に居ろ。が大乗仏教。誓願を説く大乗経典。T0279_.10.0182b15: xxx若衆生界盡。我願乃盡。若世界。乃至世間轉法轉智轉界盡。我願乃盡。而衆生界。不可盡。乃至世間轉法轉智轉界不可盡故。我此大願善根。無有窮盡『大方廣佛華嚴經』(No. 0279 實叉難陀譯 ) in Vol. 10釈迦牟尼【菩薩】は利他行を継続するために【入定】を選択する。十方三世、未来永劫、無常な有為法の世界での利他行しか選択肢はない。金剛薩埵と言う密教の菩薩の儀軌に金剛薩埵の「誓願」ともいうべき言葉があります。T1125_.20.0535c14:xxx於涅槃生死不染不著。於無邊五趣生死。廣作利樂。分身百億。遊諸趣中成熟有情。令證金剛薩埵位。xxxSAT『金剛頂瑜伽金剛薩埵五祕密修行念誦儀軌』 (No. 1125 不空譯 ) in Vol. 20 原文の成就を『三十帖策子』で成熟と読む。 「分身百億遊諸趣中、成熟有情令証金剛薩埵位」 (身を分かつこと百億、諸々の趣中に遊戯し、そこにいる生き物を加持し成熟させて自分と同じ菩薩の境地を証させる)。小乗外道の在家に寄生して食うための俗受け=ストイックを狙うシナリオに歴史的ブッダを委ねる必要など皆無。①小乗外道のシナリオ:出家・ビク→禁欲持戒→煩悩滅尽→解脱→滅苦・涅槃②大乗仏教のシナリオ;在家・凡夫→煩悩具足→発菩提心→成仏→苦界で利他行大乗経典の説く大乗の教理を根拠に「仏教のシナリオ」で大乗仏説を論証すればよい。本書75-77ページ。成仏型大乗仏説論唯識の論書を根拠に「成仏型大乗仏説論」を「不適切」と放棄する必要などない。「大乗仏説論証」は大乗経典の説く大乗の教理を優先させるべきです。同時に複数の仏がいるとか?いないとか?大乗経典はそんなレベルじゃない!!T0293_.10.0847b27: 一塵中有塵數刹一一刹有難思佛T0293_.10.0847b28: 一一佛處衆會中我見恒演菩提行『大方廣佛華嚴經』「普賢行願讃」(No. 0293 般若譯 ) in Vol. 10一一佛處衆會中我見恒演菩提行。を一一佛處衆會中我聞受持大乗経。とでも読めば一偈・四句で大乗仏説論証完了です。本書第2章大乗仏教が仏説であることは論証できない著者は「論証できない」という結論ありきで無意味な努力をしている。簡単なのだから大乗仏説を論証すべきです。【破邪】は歴史的ブッダが終らせています、大乗は【顕正】のことだけ考えればよいのです。2019/02/28一部編集し、追記を加えて再投稿。

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